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その裏にある食糧危機
 リビアなどアフリカ諸国の民主化運動、
中国の内政もそうですし、
最近では韓国も、家庭の負債が猛烈な勢いで膨らんでいます。
共通しているのが、食糧問題であることがいえます。
なるほど、生きていくためにはまず食糧があることですよね。

食糧が充足されないことで、民衆を容易に暴動へと導かれることでしょう。

大雨や干ばつなどで、世界的に食糧が不足しているようです。
加えて、人口の増加は止まらず、
いずれ、食糧や物資の高沸が起こり、ハイパーインフレーションになっていく、
という見方もあるようです。
そうなれば、中国や韓国でも、大規模なデモや暴動がおこるでしょう。

国レベルで考えると、現在、勢力を持っているのはアメリカと中国ですが、
アメリカの覇権が失われ、
中国はいずれ国内問題を解決するのに手いっぱいとなるのは
目に見えています。
国が解体してしまうと、
難民という形で我が国に押し寄せてくる可能性もあります。

「自衛」を個人レベルで考えなくてはいけない未来なのかもしれません。

それよりも、食糧の6割を捨てている日本は、
新興国からやり玉に挙げられてもしょうがないとも言えます。

これからは、
生きていくために必要最小限のエネルギー、
必要最小限の食糧で生きることが必要かもしれません。

まず水。
日本には、幸い、安全な水に関しては、
多くの研究や実績がありそうです。

森林が国土の66%を占めるため、
これからのバイオマスエネルギーや、
従来の薪としてのエネルギー利用は、現実的なものになっていくでしょう。

休耕田や過疎化した村には、
まだまだたくさんの耕作地があるでしょうし、
海では、近海の海産物は豊富で、養殖も盛んです。

輸送面では、
電気自動車の技術は世界一ですし、
高速道路はさておき、
アメリカからのモータリゼーション圧力に負けず、鉄道での輸送もありですよね。

電力に関してですが、
いずれは、一家一家で必要な電力を生産する方向になるでしょうか?
といっても、風力や太陽光は安定共有は難しい。
となると、エネファームなどを技術革新し、
排泄物なんかからメタン→水素を取り出し、
発電に使うことができるようになるかも。

メタンハイドレートも注目ですよね。

いずれにせよ、
米と野菜、魚を中心とした食生活。
自分たちが使うエネルギーや食糧は、
極力自分たちでつくること。
なるべく電気を使わない工夫。
休みの日も、畑や山に行って、仕事をすること。
働くことの喜びを、家族で、コミュニティーで分かち合うこと。

日本には、幸せに生きていける方法が、
まだまだたくさんあるはずです。
これらを守ることも、自分自身の義務です。
| ユージ | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
認知症高齢者の精神科病院への入院
 精神科病院の入院においては、
急性期や回復期などと違い、入院の期間に縛りがないところがあるそうです。

軽い脳梗塞後、一週間ほどの入院で一過性の認知症状の出現が見られ、
諸々の理由から精神科病院への入院をしたところ、
認知症状が急激に進行し、
薬の増量→身体機能低下→入院長期化。

よくあるケースではないでしょうか?

入院期間に縛りがないため、
病院側からとしては、退院に対して積極的になる必要がないため、
そのままになってしまうケースが多い印象があります。

しかし、初期段階で、
もっと自宅の近くだったり、通いなれたデイなどで、
一週間でも泊ることができたなら、
今頃はこうなっていなかったかもしれません。

そういった意味では、お泊りデイは有効活用できるのかと。

ただし、どうやって採算をとっていくのか?
要支援1であるなら、ひと月のデイでの事業所の収益は、
27000円程度(送迎、入浴や機能向上訓練費込み)。
泊りと食事代が一日2800円では全く採算が取れないのは以前書きました。
幸いなことによくなって、元の在宅生活に戻ることができれば、
ばんざい!これに勝る喜びはありません。

でも、
頑張れば頑張るほど、大変になるのは職員と、
事業所の経営。
もちろん、ここでは単価しか見てませんので、
付加価値的な(口コミで利用者様が集まってくれたり)効果はあるでしょう。

確か一度、小規模多機能の説明かなにかで、
「包括報酬では、介護の必要な方とさほど必要でない方の間で、
 その手間を必要な方に振り分けることで、手間に対する採算をとる、という考えです」
とか言う話をどこかで聞いた覚えがありますが、
じゃあみんな手間がかかるようになったら(いずれなります)どうすんだ。

だいたい、ホテルではシングル朝食付きで、
6000円〜8000円は取るじゃないか。
介護施設は、そこに体あらいサービス、排泄清しきサービス、
見守りサービス、食事介助サービス、お話サービスなどと、
(場合によっては洗濯も)
ホテルのコンシュルジュ真っ青のサービスが付属して、
昼食、夕食付きで一日5500円です(週一回とお泊り一週間で日割り)
価格破壊もいいところ。









| ユージ | 07:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
今日は、竹島の日
 「竹島の日」に遺憾声明=韓国

 韓国外交通商省報道官は22日、島根県が同日、「竹島の日」の記念式典を
 開催したことについて、「独島(竹島)に対する不当な領有権の主張を即刻中断するよう改めて強く求める」とする声明を発表した。

 声明は、式典に日本の国会議員が出席したことに遺憾の意を表明。その上で、「独島は歴史的、地理的、国際法的に明確な韓国固有の領土。韓国の領有権を侵害しようとするどのような企てにも断固として対処していく」と強調した。

以下の情報は、WIKIから拝借。

1952年
1月18日 、韓国は李承晩ライン を設定し、竹島対馬 及びその周辺海域における韓国の主権を主張し始めた。

 第一大邦丸事件(だいいちだいほうまるじけん)とは、1952年2月4日に公海上(済州島沖20マイルの農林漁区第284漁区と思われる海域)で操業中であった福岡の漁船『第一大邦丸(57トン)』及び『第二大邦丸(57トン)』が、韓国の漁船『第一昌運号』及び『第二昌運号』(各約55トン)を利用した韓国海軍によって銃撃、拿捕され、その際に第一大邦丸漁撈長であった瀬戸重次郎(34)が被弾して死亡した事件である。

 1953年1月22日に、第一大邦丸及び第二大邦丸は、福岡を出航し2月4日には二百八十四農林漁区で操業していた。

同日午前7時ごろに、第一大邦丸の南西より韓国の漁船である第一昌運号及び第二昌運号が北上して接近してきた。そして日本語で「魚は獲れますか」と話してきた。

韓国船はそのまま行過ぎ、付近で停止して操業(を装って日本船を監視)していた。しばらくして第一大邦丸が揚網作業に入ると、そのとき船尾から30メートル程度の距離にあった韓国船が、自動小銃で第一大邦丸への銃撃を開始した。

日本側二隻は逃走を開始したが、8時15分には第二大邦丸が拿捕され、逃走していた第一大邦丸も銃撃が熾烈で、逃走を断念した。この時操舵室内に坐っていた漁撈長は、後頭部左側より銃撃をうけ、意識不明となる。第一大邦丸は8時30分に拿捕され、第一昌運号の船員に「翰林に行け」と日本語で命令された。

取調べが始まるまで

同船は11時30分に済州島の翰林面に入港させられ、日本人船員は憲兵によって警察に引き渡され、船内の目ぼしい私物、装備及び漁獲物は警察に没収された。その際に日本人船員側が憲兵に対して負傷者がある旨を伝えたので、船員は翰林面の高医院に収容された。

高医院とは名ばかりの医院で病室はもちろん設備も全く無く、医師は見ただけで「これは駄目だ」といって漁撈長の手当てを拒否した。船員たちは警察に行き軍病院かどこかへの入院を依頼した。しかし警察は「我々は軍の命令によって行動したのであって、我々に責任はない」と拒絶した。

そこで船員たちは憲兵隊へ行き、病院への収容を再度依頼したが、憲兵隊長に「盲貫銃創だからとても駄目だ」と言われて再度拒否された。船員側の度重なる依頼の末、軍病院への入院が許可された。

その際に「車は直ぐ来ますから」と言われたため、船員はそのまま漁撈長の元へ行った。病院までの搬送の間に漁撈長が死なないように、医者にリンゲルの注射を求めたが、医者はリンゲルは高価だと躊躇。結局船員が私物を売り払って金を払う約束をしてリンゲルを一本射ってもらった。

しかし韓国側は結局車を出さず漁撈長を放置し、漁撈長は2月6日の 23時に死亡した。翌日漁撈長の遺体は命中弾が軍のものか警察のものか判明させる為に韓国側によって解剖され、結果憲兵の銃撃によるものであることが判明した。

同日より警察に火葬の手配を頼んだが黙殺され、船員は残った私物の一部を売り払って葬儀一式を整え、足りない薪を付近の松の枝などで補ってさらに翌日に火葬した。

帰国まで

2月9日から、船員は全員警察署の前の防空団詰所に監禁された。詰所は約4畳の広さで、そこに18人が監禁され、食料は一切支給されなかった為、船内食料で食いつないでいた。

取調べで韓国側は拿捕地点は翰林より9マイル付近であったと主張。日本人船員側が昌運号のコンパスの時差及び速力の矛盾を指摘したところ、韓国側に両者の主張の中間をとろうと言われて、13マイル付近を拿捕位置として捺印させられた。同時期に取調べを受けていた第二大邦丸の通信士によると、拿捕地点は翰林より30マイルである。

2月12日に一行は済州に送られる事になったが、誰も漁撈長の遺骨を持ってきていなかったため、遺骨を取りに行くことを要求したが、警察署長に拒否された。船員が移送用の車に乗ることを強硬に拒否したところ、1人だけ残して、次の日に運ぶ事を認められ、残りの船員は車で済州へ運ばれた。

同日23時頃、船員は済州警察査察課第二係に引き渡され、食事を与えられずにそのまま留置所に入れられた。この留置所も4畳ほどで、しかも他の韓国人と一緒に入れられていた。この留置所では粗末ではあるが食事は与えられた。

済州での取調べでは、李承晩ライン侵犯との韓国側からの指摘に対し日本側は、同ラインは韓国が一方的に定めたもので国際法上認められていないと反論した。クラーク・ライン侵犯との非難に対しては、米国公使より作戦の妨害にならなければよいと説明されていたことを伝えた。この際に韓国は自国の領海は島と島を結んだ線から計測されると主張した。これは群島基線に基づく主張であるが、韓国は群島国家であると主張していないため国際法的には無効であると思われる。

この後、警察は船員に対して領海侵犯をしたという嘘の調書をハングルで作成し、これに捺印させ、日本への通知とした。しかし、海図を出して調べるときには丁字定規一本とたばこ及びマッチを以て測るという具合に適当に作成された調書の矛盾より公海上の事件であった事がわかり、佐世保の朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官グリッチ少将が、李承晩に会見を求め、これに対して李承晩は遺憾の意を表し、第一大邦丸の釈放に応じた。

2月15日午前7時頃に、船員は外事主任より今日帰国させる旨通告され、中型ジープで水上署まで移送された。その際に査察課の課長から、「死亡した人に対しては非常にすまない。

今韓国は戦時下であるので、君たちに食糧をやりたくてもやれないのだから。あまり内地へ帰っても韓国のいわば官憲の悪口を言わないようにしてくれ」との旨の挨拶を受けた。

同日13時に船体の受け渡しがあり、同日済州を出航、米国のフリゲート艦70号に護衛されつつ、2月17日17時半頃に佐世保に入港、2月21日に佐世保を出航して、2月22日7時に福岡に帰港した。

こういったことが過去、行われていたにもかかわらず、
韓国は、正式な場での謝罪などは一切行っていない。

100歩譲って捕虜だとしても、扱いが不当極まりない。
そのくせ、
相変わらず、「独島はわが国固有の領土!」
などと言っている。

当時の時代のことや、事件を直接聞いたわけではないが、
過去、そのようなことがあったことを、日本では伝えている媒体がないこと、
これは、一種の言論統制といってもよいのでは。
ということは、日本も中国と同等ということか。

| ユージ | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
うれしいこと
 以前、勤めていた病院の後輩から、
結婚の報告をいただきました。

後輩からのうれしいお知らせが来るのは、なんともありがたいことです。

東京を去ることを決めたのは、
自分の未熟さが原因のこともたくさんあるのですが、
色々と大変な事情がありました。
もしあのままの生活を続けていたら、
今、どうなっていたのか、正直、生きているかもわからなかったです。

自分の不徳の致すところでしたが、
たくさんの方々に、お世話になっていたにもかかわらず、
多くの方にご迷惑をかけ、
傷つけてしまった方もたくさんいらっしゃいます。
本当に、申し訳なく思っています。

罪が消えてなくなるわけではないですが、
今自分にできることは、
自分にかかわる多くの方の幸せを作り、それを守ることだと思っています。

自宅の新築の際、
神棚を作りました。
敬謙な信者ではありませんが、
感謝をささげる場所として、毎日、お参りをしています。
(ときどき忘れますが)

遠くにいる後輩と、その伴侶となる方へ。
末長いお幸せを心よりお祈り申し上げます。
ありがとう。
| ユージ | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スイム練習開始!

今日は、土曜日遅くまで話をしていたので、9時ころ起床。
10時から幼稚園で父の会の話し合いがありました。
お昼から、子供たちと水巻のはるおかプールへ。
ひさしぶりのプールです。
いい加減、スイムの練習を開始しなければ(焦)。

上の子供二人が、はるおかスイミングスクールに通っているので、
日曜日の一定時間、家族にも解放してくれるのです。
はるおかには二つのプールがあるので、
一つは会員専用で、もう一つを解放してくれていました。
あったかい室内と、あったかいシャワー、それと湯船があって、
待っている時や寒い時は、あったまることができます。

ひさしぶりにバタ足、腕のみでプル練習等をやってみました。
まあ何とか泳げなくはないが・・・。
きつくなってくると、息継ぎが頻回に。
バタ足が弱く、足が沈んでしまいます。
とにかく継続して練習しなくては、
連続では泳げません。

子供もいるので、今日は連続では練習はできないですね。
他の子たちも遊んでるし。危ないですからね〜。
職場近くか、自宅近くのスポーツセンターで、
ナイト会員にでもなろうかな?





| ユージ | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
明日は公募事業のヒアリングです
 明日の16時より、北九州市役所にて、
認知小対応型共同生活介護(グループホーム)と
小規模多機能型居宅介護の併設施設の公募のヒアリングがあります。

書類の追加提出の依頼があったのですが、
銀行からの融資証明書など、時間がかかるものがあり、
提出はぎりぎりとなりました。

応募理由や事業所の方針など、かなりの量の提案様式があり、
ほとんど自分で作成したので(1項目のみ姉にお願いしました)、
返答は、自分が中心となることでしょう。

頑張ってきます。


| ユージ | 08:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
情報公表が終わりました。
 本日、情報公表が終わりました。

調査員の方も、
「情報公表制度には、風当たりが強い様で・・・」と言われていました。

やっていることの確認作業としては、
まあ意味がないとはいえませんが、
公表内容を見てみても、これで何がわかるのか・・?

今後は、第三者評価に移行していく予定だそうです。
ただ、第三者評価は調査料が高額・・・(補助はあるそうです)。
監査を日延べしてくれたりするメリットはあるそうです。

しかし、書類一つとってみても、
もっとシンプルに、重複することがないよう、
そういったところを改正してくれればいいのですが、
報酬部分を削るだけの改定では、
事務作業が追い付きません。

公務員は、事業者に書類を作らせて、
役所で机に座って、ハンコをつく人間を増やすのではなく、
実際に事業所を見に行って、お互いがよりよい情報交換ができるような、
そんなシステムを作ってください。



| ユージ | 19:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
持続可能な文化と、持続可能な人生

 石川英輔 著 「大江戸リサイクル事情」を読んで。

江戸時代は、労働エネルギーのほとんどが人力であり、
食糧は農作物、生活に使われる道具は、農作物や木材、竹材でまかなわれる、
いわば、2年ないし3年前の太陽エネルギーによって作り出されたものによって
まかなわれていたそうである(金物はのぞく?)。

また、町民の生活は、
住処である長屋はすべて構造が一緒で、建具も再利用が可能。
なべ、鏡、眼鏡、提灯、そろばん・・・ほとんどの生活用品を
修理する職業があり、
紙、布、かまどの灰、下肥など、
生活によって出てくるほぼすべてのものを回収する職業があり、

野菜売りや魚売り、前述の修理屋や回収業等の職業は、
物品を持って売り歩く行商で、
住民は、自宅の目の前でほとんどの生活物資が手に入っていたそうです。
(灰やし尿は、農作物の肥料や、その他染物など色々なものに使用)

その中で、町の運営や警備は、ほとんどが自治であり、
生活は大家を中心として行われ、
役人さんはほとんどおらず、
町人が中心となった文化が、
いわば浮世絵や歌舞伎など、世界に代表される文化を形成したのでしょう。

封建主義で、侍に逆らったら切り捨て御免!・・・。
等といった、暗いイメージとはかけ離れた生活が営まれていた様です
(幕末は不安定だっだでしょうが。だからこそその時期に打ちこわし等があったのでしょう)。
実際のところ、悪いイメージの中心である侍は、
意外と生活が苦しかったようです。

そんながちがちのシステムでは、
華やかな文化等生まれないでしょうしね。

幕末、確かに江戸幕府は、
外国からの、軍国植民地拡大圧力に抵抗するだけの力はなかったのでしょうが、
日本の中心である江戸の文化は、
清潔で(し尿もお金をくれたうえ回収してくれる)、その人口だけ見ても素晴らしく安定しており、
海外に向かって領地を広げていく必要はなく、
現在のような環境汚染やエネルギー枯渇問題などもなく、 
少なくとも300年は継続しており、あと数100年は問題なく
安定した生活を継続していくことができる状態だったといわれています。

開国しなければ、どれくらいそんな文化が続いていたのでしょうか?
少なくとも、今とは全く違う未来があったのかもしれません。
徐々に人口が増え、江戸の人口を賄うため、近郊の川沿いに大規模農園や
燃料のための大規模里山が形成され、村落ができ・・・
輸送のための運河がつくられ・・・。
仕事もたくさん増えますね。
人口問題や食糧問題や労働問題を、江戸の町民だったらどう解決するかな??

振り返って現代は、確かに生活は楽にはなりましたが、
石油エネルギーに頼りすぎ、
現代の日本人一人が一日暮らすために消費するエネルギーは、
江戸時代がほぼゼロに対し、10万キロカロリーだそうです
(摂氏0度の水1トンを沸騰させることができるエネルギー)。

この状態でエネルギーを消費し続けると、
いずれ、石油は枯渇し、新しいエネルギーを常に求めていく必要があります。
そりゃそうだ、GNPを上げなくちゃ。
エネルギーを消費して大量にものを作って、大量に消費し、
海外に大量に輸出する。
観光客を呼び寄せるために飛行機はあちこちから飛んでくる。
冬でもメロンやスイカを食べる。
海外旅行や国内旅行は行きたい放題。
食糧のほぼ半分を捨てているような社会。

このまま何年この「豊か」に見える生活が続けられるでしょう?
日本はまだいいほうです。
大国と言われた国は、ほとんどが行き詰まり、
どの国も、ほかの国からいかに利権を奪うかに躍起になっています。
その大国に蹂躙されたり、植民地にさせられたアジアやアフリカ、ヨーロッパの小国は、
もっと悲惨な状態です。

そんな日本でも、
安定した生活を求めて誰もが大学に行き、
東大を出て、官僚になり、無駄な省庁とシステムを作って天下る。
パチンコや犯罪はいつまでたってもなくならず。
労働者は既得権と休日、賃金の安定のみを求め、
いやになったら仕事を辞めればいい。
食糧問題も、領土問題も、教育問題も、誰もまじめに取り組まない。
要らなくなったら捨て、おなかがいっぱいになったら捨て、
楽に楽に生きていくためだけに、
そのうち何も考えなくなる。

こりゃ駄目でしょう。考え方を変えなくては。
文化を継続していくために、どうすればいいか。
子供たち、孫たち、その子孫が、生き続けていくことができるためには?
自分も、大量生産、大量消費の恩恵を体いっぱい受けて生きてます。

休みの日は、子供もつれて山に入っています。
ストーブの薪を得るために。再来年の冬、暖かく過ごせるために。
素人ですが、いつか、10年後、20年後の薪のために、クヌギを植えたいです。
少しずつ仲間を増やして、いつか、手入れをされていないスギ林を、
豊かなクヌギの林にしたいと思っています。
ドングリは、小動物のえさとなり、
落ち葉と小動物の糞は、質の良い土を作ります。
栄養をたくさん含んだ土に雨が降り、川に流れこみ、
田んぼや海にそそぐ。
豊かな森を作ることは、おいしいお米とつくること、
近海の豊かな漁場をつくることにもつながるからです。

今の仕事は確かに忙しいですが、
生きていくために必要な仕事も、また大切なものと思っています。
なので、休みの日も、山に行きます。
子供たちにも、やってもらう仕事はたくさんあります。
背負子を買ってあげて、焚きつけを集めたり、
なたを使って焚きつけを作ったり。
一緒に作業を共有しています。









 

| ユージ | 05:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
雪が降りました。
 日曜日の朝、目が覚めてびっくり!



雪が積もっていて、子供たちが大喜びです。

早速、雪だるまを作りました。バケツを利用した、簡単なものです。
夕方には破壊されていましたが・・。

今日は、二組のお客様が、それぞれ我が家の見学に見えられます。
皆さん、興味がおありのようで、こちらもうれしいです。

まだ、住んでから半年少しなので、
長期間の住み心地などはまだ経験がなく、
何とも言えないtころはあるのですが、
家を作りたい方が、できるだけ良いものに出会うことができるよう、
自分たちのやってきたことや、経験をお話しできたらと思っています。

朝一番に薪ストーブに火を入れ、お客様を受け入れる準備です。
| ユージ | 08:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
今日から復帰です。
 解熱後、三日目。本日より復帰です。

休んでいる間に、北九州市からの、公募事業ヒアリングの日程が決定。
17日(木)の16時より、ヒアリングということになりました。

その前に、15日(火)は、通所リハビリ施設の情報公表があります。
いずれ無くなるであろう制度ですが、きちんとやっておかなければ。

昨日、北九州市長選挙で、現市長が勝利。
名古屋では、市長と知事にそれぞれ、川村、大村氏が当選。

東京都知事選もどうなっていくのか、面白くなりそうです。

思えば、日本は、いつも中央ではなく、地方で変革が起こるような。
政治主導ではなかなか、物事はうまくいかないようです。
「会議」は、何も生まない、という意見もあります。
国会なんかはその典型でしょうか?
実際、いくつもの会議に出席したり、開催したりしてみて、
その意義は、全体の意思統一だけであることが多いようにも感じます。

いずれにせよ、これから自分がやっていくことは、
利用者様の幸せをサポートすること。
職員の生活を守ること。
雇用を創出し、それを維持していくこと。
付随して色々な取り組みはあるでしょうが、この三つは原則です。

これからもがんばっていきます。
体調も芳しくないので、今日はこれくらいで帰宅します。

| ユージ | 19:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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